【広島カープ誕生秘話】忘れられた1950年創世記のエピソードや成績記録

年代別の歴史

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・VOICEVOX:春日部つむぎ:ちび式じい
ねえねえおじいちゃん!
何じゃい孫よ?
カープの創設の話しを勉強してきたんだけど聞いてくれる?
ほっほっほ、いいぞい。
プロ野球は今現在2リーグ制でそれが当たり前だと思ってたんだけど、昔は1リーグ制だったんだって、
懐かしいのお、そんな時代もあったのじゃわい
1949年に2リーグ制にしようって構想が世の中に出たらしいんだけど、その時広島に関わる企業の偉い人たちが広島にプロ野球の球団を作りたいねって話をしてたんだって!
中国新聞社や広島電鉄、広島銀行など、影響力のある人達じゃな!

谷川昇

広島出身の政治家、谷川昇さんを中心に話しはどんどん進んで、この時、谷川さんが今でも親しまれているカープという球団名をつけたのよね!
カープの名付けの親ということじゃな!
カープ以外にも、レインボー、アトムズ、ブラックベア、ピジョン、グリーンズなどの候補だったみたい。
グリーンズは後に当時の二軍のチーム名として採用されていた時期もあったわい
中国新聞紙面でカープが紹介されたのは最初の構想からたった1ヶ月の9月末。
正式に承認されたのが11月末だからとんとん拍子かは実際にわからないけど、短期間で話が進んだ事はよくわかるよね。
広島が元々野球に熱い土地柄だったのも影響しておるじゃろ。
ところが、カープ誕生は決まったけど監督も選手もまだ居なかったの
それはまずいのぉ

石本秀一出典:野球殿堂博物館

そんな時、監督やります!っと手を上げて売り込んできたのが、広島出身で他球団の監督もしていた石本秀一さん。
カープ初代監督の誕生じゃな
当時監督をしていた太陽ロビンスの二軍選手をごっそり連れて行くので安心してください!っとまさに救世主だよね。
選手集めに監督も決まってもう準備万端じゃな

1988年広島総合球場航空写真

本拠地は西区の総合球場に決まり、もう開幕が待ち遠しいと12月初旬の球団発足式に参加した石本監督。その時衝撃的な事実が待ち受けてるの
まさかあの事件かの?
すいません監督。所属選手1人もいないっす。
何だと?
何が起きたのかというと、太陽ロビンスが松竹ロビンスに生まれ変わる為に二軍の選手の流出を食い止めたらしいの。
もう終わったの。
窮地に追い詰められた石本監督は、ちょっとみんな広島に帰ってきて!っと呼びかけて引退した選手や教え子でなんとか球団初期メンバーの23人を集めることに成功したんだけど、これ石本さんの人脈無かったら本当に詰んでたかもね。
そのときはその時でなんとかしたじゃろうがの
ここまで8月のカープ設立構想から4ヶ月という短期間で起きたことなんだけど、この何ヶ月があったから今のカープがあって、今でも広島が盛り上がってるんだと思うと凄いよね
わしもずっと楽しませてもらっておるわい
ここで少し監督と選手の話をしていい?
ええぞい
さっきから名前は出てるんだけど、広島カープ初代監督の石本修一さん。実はプロ野球選手としての活動は無いんだけど、その代わり指導者としてはものすごく有名で、母校の広島商業にひろしょう野球を築き上げ、4度の全国優勝に導いてるんだよ
タイガースでも監督をしておるの
そうそう。タイガース二代目の監督で初優勝を含む2度の優勝。タイガースに猛虎のイメージをつけて、巨人との伝統の一戦もこのころから言われているんだよね。
カープの初代監督としての功績もおおきいのじゃが、タイガースでの功績も計り知れないのじゃ
球速の速い投手の対策としてプレートの一歩前から投手に投げさせる練習も石本さんが始めたと言われてて、他にもたくさんエピソードがあってもうここでは紹介しきれないので気になるなら調べてみてね。
とにかく凄い人なのじゃな!

白石勝巳

そんな石本さんが連れてきた初代カープ選手の中には、巨人でも活躍したスター選手の白石勝巳さんがいたんだけど、当時のファンはみんな白石勝巳さんを見に行ってたと言われてるほど圧倒的な存在だったんだよ。
カープの初代背番号1番を背負っておったな、のちに監督も務めたカープ創世記に欠かせない人物じゃったわい。
1950年1月。カープの結成式が行われるなど盛り上がりを見せる広島なんだけど、カープは新戦力獲得に向けて入団テストを開催したの。
まだまだ戦力が乏しかったからの、才能ある選手を発掘したい気持ちはよくわかるわい。

長谷川良平 出典:Wikipedia

そして監督の石本さんの目にとまったのが、小さな大投手として広島カープ創世記の大エースとなる長谷川良平さん。プロ通算197勝もしてるの、まさにレジェンドだよね。
名将と言われる石本監督だからこそ発掘できたのかもしれんな
そんな中、開幕に向けて合宿がスタート。お金が無いカープの為に石本監督は金策で各地を回り、実質の指揮官はさっき紹介した白石勝己さんだったみたい。
お金がなさすぎて合宿所のお代が払えなかったそうじゃの
お金が無くて大変だったのは有名だけど宿賃も払えないほどだったんだって知らなかったわ。
そんな金に苦労しつつ開幕したカープの1年目はとにかく大苦戦。チームの勝率が3割以下の最下位でシーズンを終えてるの。
寄せ集めの選手じゃからの、そう甘くはないのじゃな。
そうなんだよね、ただ、カープが試合より苦戦したことがあるんだけど、おじいちゃん分かる?
ほほ、お金じゃろ?
正解。マジでお金がなかったみたいなの。
開幕して2ヶ月で選手へのお給料が遅れ始めて、二軍の選手は4月のお給料しか渡さず、6月には汽車賃だけ渡して故郷に帰らせたんだって。
それはブラックじゃわい
いろいろ調べてみると、野球用具を購入したけど代金が支払えず、結局野球用具を購入したお店を倒産させたとも書いてあったわ、これ本当かな、
だとしたら恐ろしいわい。
セリーグに加盟するためのお金も全然払えなくて、さっき話した二軍の選手を故郷に帰らせる要因にもなったらしいの。そしてその二軍の選手はどうなったと思う?
まさかの
そのまさかなのよ、全員、クビ、
なんじゃそのホラー映画みたいな話しは、
Wikipediaにはそう書いてあったよ、実際にシーズンオフには選手会がお給料の支払いをちゃんとしなかったら僕たち辞めますよ、っと球団側に要望書を出してるの。
そりゃそうじゃろうの、明日は我が身だと夜も眠れんわい。
選手会と和解して選手の流出は免れたんだけど、カープにお金が無かった理由も説明しとくね。
よく調べたんじゃな!
1950年当時は試合の入場料の売り上げの分配方法が特殊で、ホームビジター関係なく勝利チームに売り上げの7割を、負けたチームに残り3割の売り上げを分配する悪魔のシステムだったの。
まさに弱肉強食の世界じゃな
最初の説明を思い出してみて!このシーズンカープの勝率は3割を下回ってるのよ?ほとんどの入場料は上位チームに支払われてるわけだから、カープは想定していた売り上げを確保できなかったの。
見込んでいたお金が入ってこなかったんじゃな
資金難からたくさんの問題を抱えたシーズンはもうお金との戦いといってもいいんじゃないかな?やっぱりお金って大切なんだよね。
そうじゃな、ほっほっほ、
だからさおじいちゃん。
なんじゃ?
お小遣いちょうだい!
ほっほっほ、ワシはゲートボールの時間じゃ、それじゃあの
っあ逃げた、おじいちゃんが帰ってしまったから今回のお話はここで終わりにするね。
2年目のカープもまさに壮絶なシーズンを送ることになるんだけど、それはまた次の動画でお話しさせてもらおうかな。
最後まで聞いてくれてありがとう、良かったらYouTubeのチャンネル登録、高評価、コメント、どれか一つでもしてくれたら嬉しいな、それじゃまたね、バイバイ

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