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ねぇねぇおじいちゃん

何じゃい?孫よ

今回はカープ創設2年目の事を調べてきたんだけど聞いてくれる?

ほっほっほ。もちろんいいぞい

カープが誕生して2年目の1951年。前年の経営難から脱却できているわけもなくて、早速球団消滅のピンチが待ち受けているの

ずっとお金が無いのうカープは

そうなの、前年から親会社となってくれる企業を探していたんだけどなかなか見つからなくて、現在のサントリーやアサヒビールなんかにも声をかけていたらしいんだけど大人の事情で本決まりにできなかったんだって

球団経営はそう甘いものではないのじゃな

結局経営がうまくいっていないカープに対して、セリーグ連盟の人が大洋ホエールズと合併しなさいって強めに言っていたらしいの

実質カープ消滅ということじゃな

カープ潰しのように聞こえるけど、セリーグ連盟の人は、広島とかカープとか名前を残せばいいじゃないかって提案してたみたい、そういう事じゃないんだけどね

大洋側からしてもビックリする提案じゃわい

そうだよね、大洋カープホエールズとか誰も納得しないだろうしね、カープが誕生した背景を分かってないよね

ただ、カープの経営状況に光が差すことはなくて合併の話から2ヶ月後の3月。セリーグ連盟から呼び出されたカープはお金が無いならやめなさいって怒られたんだって

これだけ猶予あっても改善できなかったのじゃしょうがないところもあるの

結局その後に開かれた役員会で正式に大洋との合併を決定してしまったのよ

ついにカープ消滅か、残念じゃな

今現在カープが存続しているから撤回されるのはわかっているんだけど、当時はNHKのラジオでもカープが大洋に吸収合併されると報道されてるみたいだからすごくショックだったと思うよね

急に応援している球団が合併なんて立ち直れんかもしれんな

じゃなぜ合併が撤回されたのかというと、伝説の市民と呼ばれる人たちの存在が大きかったと言われてるの

実はワシもその1人なのじゃ
すまん。嘘じゃ

話を戻すと、まず、役員会で合併が決まった時、監督の石本さんは到着が遅れていなかったんだって

カープを救う為に金策に走る石本監督がいない中で決定した合併。それを聞きつけたファン達が役員会が開かれてた天城旅館に押し寄せてたらしいんだけど、2000人は集まっていたと言われてるんだよ

伝説の広島市民じゃな!実はワシも…

遅れて到着した石本監督は「カープは戦後の復興に頑張る広島県民の〝心〟です。絶対になくしちゃぁいかんのです」っと説得し、ファンの熱意もあって合併が撤回されたの

ファンの力は偉大なのじゃ

合併は一旦回避されたんだけど、お金が増えたわけじゃないから結局経営難は続いていてこのままだとまた解散勧告されてもおかしくないよね

開幕も迫っておるしの、経営にチームづくりと忙しのじゃわい

開幕前には甲子園で行われた準公式トーナメント大会に参加してたんだけど、お金ないから宿舎の代わりに球場の部屋で雑魚寝してたらしいわ

選手を労ることもできん状態じゃな、開幕は大丈夫なのかの?

そんなこんなでなんとかカープ2年目のシーズンは開幕したんだけど、資金難の改善は少しずつ進んでて、カープ消滅危機があったからなのか石本監督が発案した後援会の入会者が後を絶たず、募金の金額がどんどん増えていったの

カープと言えば募金じゃな

球場の前には樽が二つ置かれて、子供はお小遣いを、お父さんは酒にタバコを節約して、とにかくたくさんの市民がカープを救う為に募金してたんだよ

有名なカープを救ったタル募金じゃな

試合が終われば選手と一緒に広島各地を回って歌を歌ったりカープグッズを売ったり資金集めは順調に進んでいったの

最初のカープグッズは鉛筆だったそうじゃな

結局この年の寄付金は400万円を超えて球団経営も黒字に転換、経営難からの脱出に光が差してきたのは間違いなくファン達のおかげだね

当時大学の初任給が5500円じゃからな、400万円の価値は相当なものじゃわい

球団経営に光が差し始めたカープだったんだけど、肝心のリーグ戦は苦戦が続いて2年連続の最下位で2年目のシーズンを終えたんだって

貧乏球団じゃからな選手も集まらんし強化も難しかったんじゃろう

そんな貧乏球団のカープは2年目のシーズンオフに選手契約書が選手達に届かないトラブルが発生してしまったの、印刷の遅れから発生したらしいんだけどこれがきっかけで大騒動に発展したんだって

選手との契約に欠かせないものじゃからな、監督の石本さんはちゃんと契約するからと選手達に口頭で伝えたそうじゃな

それでもそのスキをついてカープのエースだった長谷川良平さんを引き抜こうとドラゴンズが接触してきたらしいんだけど、長谷川良平さんは愛知県出身で地元で投げたい気持ちがあったから水面下で話が進んじゃったの

地元でプロとして投げるのは特別な事じゃからな

カープはエース移籍となれば大打撃でもちろん移籍は認められないと抗議。話し合いの結果移籍は無くなって、セリーグ連盟からも正式に移籍はダメよって決まったんだけど、この移籍騒動は3ヶ月もの期間世間をざわつかせたらしいよ

カープのエースにして、球界でもその実力を認められていたからの移籍可能となれば引く手数多じゃ、世間の関心も大きかったんじゃないかの

勝手に移籍しようとした長谷川さんを叩く新聞記事が多かったみたいなんだけど、読売新聞は何としてもドラゴンズに移籍させたくなかったからすごく記事にしてたんだって

大人の事情がすごいのぉ

最終的に長谷川さんはカープ一筋に生きると宣言してこの騒動の幕を閉じたの

一件落着じゃな

エースの流出を免れたカープなんだけど創設3年目のカープにさらなる試練が待ってて

はぁ、カープは楽しく野球できておるのかの?

それは大丈夫じゃないかな、カープはすごく人気で試合となればたくさんのファンが応援に駆け付けてたし、何より後援会の募金を見れば熱意が伝わるでしょ

ファンあっての野球じゃが、カープはファンが支えファンが楽しんでおるの

そんな人気のカープなんだけど、1952年シーズんは勝率3割を下回るチームは解散もありうると決定したの、これは実質2年連続最下位のカープ潰しだよね

この当時セリーグ7球団じゃったからの、日程の組みにくさ解消の為とされておるの

こんなところでカープが解散してたまるかと選手も奮起して37勝80敗の6位。ギリギリ勝率3割も突破して解散を回避したの、

その結果、松竹ロビンスが最下位となって吸収合併されてしまったんじゃ、カープも紙一重だったんじゃよ

カープが誕生して3年。幾度となく解散や合併の危機が訪れてたんだけど、当時の選手やファン達のおかげで今のカープがあるんだね。

そうなのじゃ、ありがたいことじゃ

ほんとそうだよね、ありがとうと伝えたいな

ここまで暗い話が多かったんだけど、カープが解散を免れた1952年から勝敗に関係なく試合のホーム側に入場料など興行収入の6割が支払われることになったおかげで球団の収入も安定してきたの、これはすごく明るい話なんだよ

今までは勝利チームに興行収入7割が支払われていたからの、負けが多いカープは救われたのお

後援会の募金もたくさん集まって選手強化にと1000万円も寄付されたらしいよ

少し前まで資金難じゃったのにの歯車が噛み合い出した瞬間じゃな

寄付金を元手に球界のスター小鶴誠さんを筆頭に選手強化を実施したカープなんだけど、この時移籍した金山次郎さんはカープに走る野球の礎を築いたと言われてるんだよ

人柄もよくチームワークを重視したプレーや練習からカープが生まれ変わったといわれてたりするの

こうしてカープの創世記はたくさんの人たちに支えられて苦難を超えてきたんだね

前回のお話と合わせて、カープ創世記のお話は終わりにするね。

前回のカープ誕生の話を見てない人はぜひ見てみてね。

次回もカープの歴史をわかりやすく楽しくしていくから

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